こんにちは。ヒーリング・カウンセリングを提供していますヨネイカンです。
今回は、人生における「自由」を手に入れるための方法をテーマに記事をお届けしていきます。
記事の最後にはあなたの「自由への道」を測定できる診断テストを用意していますので、ぜひ試してみて下さいね。
自由
この言葉には、どのようなイメージを持っているでしょうか?
わたしの中には長年にわたってこんな「自由」に対して願望を持っていました。
自由になりたい!自由な人生を送りたい!
皆さんは、
「自由」という言葉にどんなイメージを持っていますか?
憧れ・魅力・夢・希望・・・
いろいろなポジティブイメージが湧いてくると思います。
しかしながら、一方ではネガティブなイメージも持っていないでしょうか?
夢物語、無理、不可能、一部の人のもの・・・
「自由を手に入れたいけれど」
現実を考えると「自由にはなれない」。
そんなイメージを持っていませんか?
- もう「子育てのための人生」は終わったのに、なぜか自由になれない感覚
- 生活、仕事、人間関係、お金に縛られて自由になれない
- 好きなことにお金も時間も自由に使いたい、けれど罪悪感がついてくる
- 仕事で疲れ果てて、自由について考える余裕もない
それでも、まだまだ
「わたしの人生はここからが自由だ」と感じているあなたへ。
今回から「自由」な人生を手に入れるための様々なアプローチをご紹介していきます。
わたしと一緒に自由な人生への道を歩んでいくサポートになれば嬉しく思っています。
今回の記事では
「自由」に生きられない理由から一緒に考えていきましょう。
わたしたちが“自由になれない理由”はどこにある?
どうしてわたしたちは「自由になれない」のでしょうか?
例えば、今この記事を読んでいる「今の瞬間のあなた」を客観的に見てみましょう。
ある1つの見方をすれば「自由」かもしれません。
この記事を読む時間を持てている自由を既に手に入れ、実行しているからです。
そうなんです。
いきなり結論に行き着いてしまいました。
わたしたちは既に「自由」なのです。
今、この瞬間のあなたは「自由」なのです。
でも、同時にこんなことを思ってしまいます。
今の状態はとても「自由」だとは思えない
もっと自由に生きたいのに、何かが邪魔をしてくる
好きに生きたいのに、どこか許せない自分がいる
既に「自由」であるはずのわたしたちが「自由には生きられていない」。
その“何か”の正体を、まずは見つめていきましょう。
幼少期から続く「いい人でいなきゃ」の呪い
ここからは小さな頃のあなた「幼少期」の頃のあなた自身を思い浮かべてみて下さい。
あなたは小さい頃から、いつも“周りを見て行動する子”だったのではありませんか?
例えばわたしの場合は、こんな子供でした。
・親に迷惑をかけちゃいけない
・怒られないように、空気を読まなきゃ
・「ありがとう」と言われると嬉しくて、もっと頑張ってしまう
こうした積み重ねは、あなたの中に
「いい人でいなきゃ愛されない」
という思い込みをつくり出し、積み重なって、今日あで維持されてきています。
なので、大人になってからもこの“いい人のクセ”は消えません。
・人に嫌われたくない
・頼まれたら断れない
・つい我慢してしまう
・本音を言うのがこわい
こうして、自分の願いや本音は、いつの間にか後回しになってしまうのです。
周りに合わせることで「安全」に生きることを選び続けてきたのです。
「誰かのため」で空っぽになった“役割ロス”
「誰かのため」に頑張ってきたことありませんか?
わたしにはすごくこの傾向がありました。
「自分のため」よりも
「誰かのため」に頑張ることの方が優先順位が高く。そしてやりがいを感じていたのです。
わたしは
誰かのために頑張りたい!尽くしたい!
このように、ずっと思い続けていたのです。
「誰か」のことを思って、考え、動き、
スケジュールも、使うお金も、気持ちのエネルギーも
その全てが“誰かのため”だったのです。
それが、ある日ふっと終わりを迎えました。
誰かのためって、いつか終わりが来るんですよね。
例えば、
「子どものため」って頑張っていても、子供が立派に独立したとき、心のどこかで誇らしさを感じる一方で、
同時にぽっかりと穴があくような感覚に襲われます。
「会社のため」って頑張っていても、会社から「必要がない」と言われた、その時に関係性は大きく変わります。
「誰か」が目の前からいなくなることもあります。
これによって、「役割ロス」が発生するのです。
“誰かのためとしての自分”が人生の中心にいたことによって
「じゃあ、わたしはこれから何をして生きていけばいいんだろう?」と、急にわからなってしまいます。
「誰かのため」が終わった時、身体も、心も、時間も、あらゆるものが自由になったはずなのに、なぜか“迷子”になったような気持ちになるのです。
「自由」とは何か?
そこで改めて考えたいのが根本的な問題です。
そもそも「自由」とは何なのでしょうか。
多くの人は、「好きに生きていい状態」だと考えるのではないでしょうか。
でも実は、
“自分が何をしたいのか分かっている” こと
“そのために動く勇気がある” こと
この2つが揃って、初めて自由は手に入るのではないかとわたしは考えています。
つまり、自由とは
“やりたいことができる状態”にあるのではなく、
“やりたいことに気づける状態”
“その選択を自分に許せる状態”
のことを指すと考えます。
多くの人が自由を求めながらも実質的には苦しくなってしまうのは、普段の生活から“選択すること”に慣れていないからなのです。
本当に自由になってしまうと実は苦しい
自由とは、本来は心地よいものです。
でも、いざ目の前に自由がやってくると、多くの人が不安になります。
自由を求めて、手に入れたいと思っているのに
実際に手に入ってしまうと「不安」になるのは、なぜでしょうか?
答えはとてもシンプルです。
自由には「自分で責任を取る」という怖さがあるから
これまでの人生は、
・親として
・パートナーとして
・会社の一員として
・・・
「誰かのため」という枠がありました。
その枠があることによって不自由だと感じてしまう存在でもあったけれど、同時に“支え”でもあったのです。
役割があると、
「そのとおりにやれば正解」という安心感を得ることが容易にできます。
自分で考えたり、選択しなくても、役割の中で役割をこなせばいいからです。
しかし自由になると、そういうわけにはいきません。
自分で選ばなければならない。
自分で決めなければならない。
そして、決めたことに自分で責任を持たないといけない。
これは、多くの人にとってはとてつもない恐怖を伴うのです。
自由になった瞬間、
「どうしていいかわからない」
「本当にこれでいいのかな?」
「間違えたらどうしよう」
という不安が一気に押し寄せてくるからです。
例えば、わたしにはこんな経験があります。
小学生の頃に、学校の授業で先生から画用紙を渡され

なんでも、自由に書いていいよ。
このように言われると、途端に何も書けなくなってしまうのです。
一方で、
今日は、ここにある「りんご🍎」の絵を描きましょう。
このように言われると、目の前にある「りんご」だけに集中して、観察して書けばいいだけなので、不得意ながらもなんとか絵を描き切ることができました。
これまで何らかの「制限」が与えられていたことが当たり前の世界に生きている人に「自由」を与えられても、うまく対処できないのです。
自由を楽しみたいのに、なぜか許せない自分
これまでの人生で「自分のために何かをする」ことが少なかった人ほど、
自由を楽しもうとすると、心の中に別の声が聞こえてきます。
・そんなことしてる場合じゃない
・お金を使っちゃダメ
・遊んでる暇なんてない
・もっと頑張らなきゃ
・わたしなんかが幸せになっちゃいけない
この声の正体は、
罪悪感 と 自己否定 です。
長年、「家族のため」「誰かのため」だけに生きてきた人は、
“自分だけの楽しみ”に対してどうしても罪悪感が生まれます。
特に、推し活のような“心が喜ぶこと”ほど、
「こんなことにお金使っていいのかな…」
と無意識に自分を責めてしまうのです。
罪悪感は、楽しむことを邪魔します。
そして、自己否定は、自由を奪います。
◆自己否定と罪悪感の構造(わかりやすく図解的に)
- 子どものころに形成された“いい人”の思い込み
↓ - 自分より他人を優先するクセがつく
↓ - “自分のために何かをする”ことへの抵抗が生まれる
↓ - いざ自由になると、どうしていいか分からない
↓ - 楽しもうとすると罪悪感が発動する
↓ - 「わたしはダメだ」という自己否定につながる
↓ - 自由を感じられなくなる
つまり、
あなたが自由に生きられないのは、“能力の問題”ではなく、心のクセの問題なのです。
そしてこのクセは、
気づけば、必ず変えていくことができます。
マンガでまとめ
ここまでの内容をマンガにしてまとめてみました。


【おまけ】あなたの自由への道を知る診断テスト
ここまで読んでいただきありがとうございます。
さて、今の段階でのあなたの自由への道はどれくらい開けているでしょうか?
ぜひ、診断テストで測ってみて下さい。

